生きにくいったらありゃしない

広汎性発達障害とわかってから、あの時の行動はそうだったのか! この考え方は障害だったのか! などといったもっと早く気づいていればなって思ったことを面白おかしく書いていければなって思います。

1000⁉

 皆様のおかげで1000アクセスを突破しました! ランキングも広汎性発達障害のカテゴリで1位をもらっております……正直言って嬉しいです! 本当にありがとうございます。これからも地道に活動していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。


 さて記念の1000を超えたところで書きたい話があります。前から書きたかった話ですがかなり暗い話になります、よければお付き合いください。


「山頭火や啄木などは自分の意志のまま生きて素晴らしい作品を残した。私は何も残せなかったが、社会の最小単位である『家庭』を世間の荒波の中で『守り通せたこと』を『誇り』しよう」
 平成14年4月24日 毎日新聞 読者投稿欄より


 この言葉は父の友達から私の父に贈られた『父』とはこうあれと伝えたメッセージの中に入っていた言葉でした。
 私はこの言葉が大好きです。父親と母親は離婚してしまったので私が家庭を支えなきゃいけない……その思いを形にしてくれたのが、この言葉でした。


 どんなに障害が原因で道を外れても、仕事を探し続けられたのはこの言葉のおかげです。私はこの言葉を将来、自分の子供に、道を間違えそうな友達に言いたいと思っています。その為に明日も仕事をしっかりし、その日々を『誇り』に持ちたいです。